森の瞳と虹の聲

La voix entre l’ombre et la lumière

La voix entre l’ombre et la lumière

Chapitre XII

返事のない旋律

返事のない旋律

待つ音が

待つ音が 

降りてきて

すぐそこに

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返事は、来なかった。 画面を閉じてから、 もう何度も時刻だけを確かめている。 暗い部屋の中で、 スマートフォンの光だけが白い。 エリーはソファに深く沈み、 ギターを抱えたまま、弦に触れずにいた。 送ってしまった言葉は、消えない。 ”À cause de toi, je ne dors pas. (君のせいで眠れない)” 送信音が、思ったより大きく響いた気がした。 あの瞬間から、夜が静まり返ったまま動かない。 軽すぎたかもしれない。 重すぎたかもしれない。 どちらにせよ── 返事は来ない。 * 翌日は仕事だった。 朝からリハーサル。 打ち合わせ。 通し。 修正。 誰かに声をかけられれば、 いつも通り笑えた。 冗談も言えた。音も外さない。 問題ない。 そう振る舞うことはできた。 けれど、 弦を押さえる指に、わずかに力が入る。 ピッキングが少しだけ鋭くなる。 休憩時間、 ポケットの中の重みを思い出す。 スマートフォン。 取り出さない理由を探して、 そのまま一日を終えた。 * 次の朝。 ホテルの部屋。 カーテンの隙間から、淡い光。 いつもの癖で、チャンネルを開く。 通知。 ──配信。 五分。 照明の落ちた、暗いサムネイル。 再生。 最初の一音で、 呼吸が止まった。 「……」 フルート。 細く、軽く、芯のある音。 その下に── ピアノ。 喉の奥が、ひりつく。 (……俺の曲だ) いや、違う。 “あの夜”の曲。 背中に冷たいものが走る。 画面の奥、 影の中でフルートを吹くのは──小さな背丈。 子ども? 姿は曖昧なのに、 音だけがはっきりと輪郭を持っている。 これは、返事なのか。 ……いや。 考えすぎだ。 彼が知っているはずがない。 コメントが流れる。 《天使?》 《フルートやばい》 《昨日の人!?》 《誰?》 《会いたい》 ──会いたい。 その言葉に、 なぜか指先が熱くなる。 DM画面を開く。 打つ。 ”会いたい” 止まる。 削除しかけて、やめる。 息が浅い。 ……まだ、早い。 言葉より安全な距離。 エリーは短く打ち直した。 ”公園で” 送信。 それ以上は書かなかった。 * 夜。 いつものベンチへ向かう。 けれど、そこには人影があった。 若い声。 スマートフォン。 小さな期待。 ──来るかもしれない。 あの配信が広がったせいだ。 足を止める。 (……今日は、無理か) 振り返ろうとした、そのとき。 口笛。 短く、控えめな音。 あの夜のフレーズの断片。 振り向く。 白い影。
走り出したのは── 彼の方だった。 「……!」 エリーも反射的に走る。 夜気が冷たい。 吐く息が白くほどける。 追いついた瞬間、 互いの呼吸がぶつかった。 言葉は出ない。 辿り着いたのは、マンションの前。 彼は振り返らないまま鍵を開ける。 エリーは何も言わず、ついていった。 * エレベーター。 狭い箱の中、 わずかに距離が近い。 鏡に二人が映る。 視線は合わない。 数字だけが、ゆっくり上がる。 わずかに感じる体温。 触れていないのに、意識に残る距離。 扉が開いた。 * 部屋に招き入れられた瞬間、 エリーは息を呑んだ。
広いリビング。 大きな窓。 夜景。 そして── 一台のグランドピアノ。 「……」 言葉が出ない。 ここが、彼の世界。 音の生まれる場所。 ここに、自分が入ってしまったのだと 遅れて実感する。 二人はまだ何も言わない。 けれど、 もう逃げる距離ではなかった。 心臓の音だけが、残る。 まだ、近いまま。
返事は、来なかった。 画面を閉じてから、 もう何度も時刻だけを確かめている。 暗い部屋の中で、 スマートフォンの光だけが白い。 エリーはソファに深く沈み、 ギターを抱えたまま、弦に触れずにいた。 送ってしまった言葉は、消えない。 ”À cause de toi, je ne dors pas. (君のせいで眠れない)” 送信音が、思ったより大きく響いた気がした。 あの瞬間から、夜が静まり返ったまま動かない。 軽すぎたかもしれない。 重すぎたかもしれない。 どちらにせよ── 返事は来ない。 * 翌日は仕事だった。 朝からリハーサル。 打ち合わせ。 通し。 修正。 誰かに声をかけられれば、 いつも通り笑えた。 冗談も言えた。音も外さない。 問題ない。 そう振る舞うことはできた。 けれど、 弦を押さえる指に、わずかに力が入る。 ピッキングが少しだけ鋭くなる。 休憩時間、 ポケットの中の重みを思い出す。 スマートフォン。 取り出さない理由を探して、 そのまま一日を終えた。 * 次の朝。 ホテルの部屋。 カーテンの隙間から、淡い光。 いつもの癖で、チャンネルを開く。 通知。 ──配信。 五分。 照明の落ちた、暗いサムネイル。 再生。 最初の一音で、 呼吸が止まった。 「……」 フルート。 細く、軽く、芯のある音。 その下に── ピアノ。 喉の奥が、ひりつく。 (……俺の曲だ) いや、違う。 “あの夜”の曲。 背中に冷たいものが走る。 画面の奥、 影の中でフルートを吹くのは──小さな背丈。 子ども? 姿は曖昧なのに、 音だけがはっきりと輪郭を持っている。 これは、返事なのか。 ……いや。 考えすぎだ。 彼が知っているはずがない。 コメントが流れる。 《天使?》 《フルートやばい》 《昨日の人!?》 《誰?》 《会いたい》 ──会いたい。 その言葉に、 なぜか指先が熱くなる。 DM画面を開く。 打つ。 ”会いたい” 止まる。 削除しかけて、やめる。 息が浅い。 ……まだ、早い。 言葉より安全な距離。 エリーは短く打ち直した。 ”公園で” 送信。 それ以上は書かなかった。 * 夜。 いつものベンチへ向かう。 けれど、そこには人影があった。 若い声。 スマートフォン。 小さな期待。 ──来るかもしれない。 あの配信が広がったせいだ。 足を止める。 (……今日は、無理か) 振り返ろうとした、そのとき。 口笛。 短く、控えめな音。 あの夜のフレーズの断片。 振り向く。 白い影。
走り出したのは── 彼の方だった。 「……!」 エリーも反射的に走る。 夜気が冷たい。 吐く息が白くほどける。 追いついた瞬間、 互いの呼吸がぶつかった。 言葉は出ない。 辿り着いたのは、マンションの前。 彼は振り返らないまま鍵を開ける。 エリーは何も言わず、ついていった。 * エレベーター。 狭い箱の中、 わずかに距離が近い。 鏡に二人が映る。 視線は合わない。 数字だけが、ゆっくり上がる。 わずかに感じる体温。 触れていないのに、意識に残る距離。 扉が開いた。 * 部屋に招き入れられた瞬間、 エリーは息を呑んだ。
広いリビング。 大きな窓。 夜景。 そして── 一台のグランドピアノ。 「……」 言葉が出ない。 ここが、彼の世界。 音の生まれる場所。 ここに、自分が入ってしまったのだと 遅れて実感する。 二人はまだ何も言わない。 けれど、 もう逃げる距離ではなかった。 心臓の音だけが、残る。 まだ、近いまま。